2013 慶應法学部小論文
「内閣総理大臣とリーダーシップ」
解答と解説
2013年 慶應法学部小論文のテーマは「内閣総理大臣のリーダーシップ」でした。
課題文においては、内閣制度発足当時の状況が説明されていく中で、その問題点について議論がなされています。
今回の小論文のポイントは、内閣発足当時の状況と現在の内閣総理大臣を比較して”リーダーシップ”という側面に注目をして論じていく必要があります。
それではいきましょう!
設問の解説
次の文章は、日本における内閣制度発足当初の状況について論じたものである。当時の内閣制度が抱えていた問題点を300字程度にまとめ、これを踏まえて現在の内閣総理大臣のリーダーシップのあり方について、あなたの考えを自由に論じなさい
今回の設問から、答えなければならないメインの問は
「現在の内閣総理大臣のリーダーシップのあり方について、論じなさい」
つまり、「現在の内閣総理大臣はリーダーシップがあるのかないのか」それについて答えなければならないわけです。
出題当時は、2013年ですから丁度、第二次安倍内閣が発足したくらいの時期ですね。
それから2020年まで、安倍内閣が続き、菅内閣へと総理大臣が変わりました。
このような、現在の内閣総理大臣のリーダーシップを論じるにあたり、内閣発足当時との比較を行う必要があります。
課題文からは、内閣発足当時には、何かしらの問題点があったとされます。
論証の構成としては、
「内閣発足当時の問題点を明らかにした上で、現在の首相のリーダーシップがあるのかないのか」
という点に答えていく必要があるでしょう。
内容の解説
課題文では、「内閣発足当時の状況における問題点」が書かれています。
課題文を読み込むにあたっても、「当時の問題点」を主張したいんだ、ということをわかった上で読んでいくことが必要です。
では、当時の問題点とはなんだったのでしょうか。
当時の問題点に関して、簡潔にまとめられているのが、最後から二番目のこの文章です。
このように、薩長との兼ね合い、各省割拠状態、また議員制内閣との関係と言った諸問題がリーダーシップの必要性と同じかそれ以上に意識されたためか、(中略)閣議でも総理大臣の主導性がごく抑制的にしか発揮されず
この段落は、これまでの議論をきれいにまとめてくれています。
まず、当時の内閣総理大臣のリーダーシップについててですが
「主導性が抑制的にしか発揮されなかった」とあります。
また、後の文章でも「強力なリーダーシップのもとに内閣全体の意思統一」が計れなかった、という文章もあります。
したがって、まず課題文の主張としてわかるのは、「内閣発足当時の総理大臣のリーダーシップは、抑制されていた、強力ではなかった」というネガティブな意味合いを持つ、ということがわかります。
そして、「総理大臣のリーダーシップが弱かった理由」として挙げられるのが、①薩長均衡との兼ね合い②各省割拠状態③議員制内閣との関係だということです。
では、内閣発足当時の首相のリーダーシップが弱かったのはなぜかについて詳しく見ていきましょう。
①薩長均衡との兼ね合い
明治維新を経て、発足した明治政府の主要なアクターは、主に薩摩藩と長州藩出身の人々でした。それが伊藤博文、黒田清隆、井上馨、山県有朋、西郷隆盛、松方正義と言った明治の重鎮たちです。
この、薩摩と長州という二つの勢力によって立ち上がったのが明治政府であり、明治期日本はこの二つの勢力によって躍進していきました。一方で、この二つの勢力はどちらが上、下と言ったことはなく、お互いがあくまでも平等と言った立ち位置でした。
それがわかるのが、明治政府発足から31年経つまで、内閣総理大臣は薩長のそれぞれが交代で担ったことです。これらから、薩長の「あくまでも平等」というバランスを保つことが内部分裂を防ぐ重要な手立てだったわけです。
一方で、このことは、「強力なリーダーシップ」を発揮するには弊害になります。なぜなら、「薩長のバランス」を崩してしまう恐れがあるからです。
もし何か、大きな政策をリーダーシップを発揮することで、成功を修めたり、失敗したりしてしまった場合には、薩長の均衡が崩れてしまいます。
だからこそ、総理大臣権限を行使してリーダーシップを発揮することよりも、話し合いなどによって決めていく「調整」よりの政治を行うことが求められました。
②各省割拠状態
次に重要なのは、1895年に太政官制から内閣制度に変わったことにより、各省の独立性が高まったということです。
太政官制から内閣制度に変わったことの最も大きな特徴は各省庁が独立しているかいないかという点です。
太政官制は太政官が一番偉い状態で各省庁は太政官の命令で方針を決められていました。
しかし、実際に方針を実行していたのは省庁でしたので責任を持っているのは太政官か省庁かどっちなのかが非常にわかりづらかったのです。
今の内閣制度だったら各省庁は独立していて自由に方針を決めれることができます。内閣制度では、各省庁のトップが、省庁ごとの利益を主張するという側面が強くなります。その結果、省庁間による利益対立が激化しました。
その結果、省庁の大臣をまとめる役割を担う総理大臣は、「リーダーシップ」をとることよりも「調整」することに力をいれる構図になったわけです。
③議員制内閣との関係
イギリス的な議員制内閣への道が開かれることの懸念があるという点も言及されました。
これを理解する上では、少し背景知識が必要です。
議会というのは実は「アリーナ型」と「コンセンサス型」というのがあります。イギリスはアリーナ形で、日本やドイツは「コンセンサス型」です。
イギリスのアリーナ型議会の特徴は、与野党の弁論の戦いが中心となり、積極的な議論により白黒はっきりつけて政治を進めていくスタイルです。
一方、ドイツや日本のコンセンサス型の議会では、与野党が妥協につとめる議会の形を指します。
コンセンサス議会においては、首相は強い権限を持ち、議論を収束させるよりも、与野党の妥協によって政治を進めていく方が有用です。だからこそ、首相の権限の使用の必要性がなかったという点が述べられています。
[adchord]論証の具体例
内閣総理大臣のリーダーシップ
内閣総理大臣のリーダーシップを語る上では、首相がどれだけの権限を行使しているのかであったり、その在任期間であったり、首相の性格、政党ごとの強さなど多くの観点があります。設問において、「自由に論じよ」とあるため、どの観点に絞って書いても良いですが、「現在の内閣総理大臣のリーダーシップ」がどの程度あるのか、ないのかについて答える点は忘れないようにしましょう。
例えば、出題当時の2013年であれば、日本の総理大臣のリーダーシップは弱かったということはできるかもしれません。なぜなら、2006年の第一次安倍内閣以降、1年か2年ごとに目まぐるしく総理大臣が変わりました。
2007年から2012年のたった5年間の間に
首相は、安倍→福田→麻生→鳩山→菅→野田→安倍
とこれだけ変わっています。これだけ目まぐるしく総理大臣が変わってしまっては、長期的な政策を打つことも難しくなってしまいます。
一方で、2012年以降の安倍内閣は2020年まで続き、アベノミクスや日米関係などにおいて一定の成果を残しました。これらのことは、日本の首相の強いリーダーシップの発揮と論じることができるのではないでしょうか。
解答例
筆者は日本における内閣制度発足当時の問題点とは、薩長均衡との兼ね合い、各省割拠制度、議院内閣制の関係が意識された結果、総理大臣の主導性がごく抑制的にしか発揮されなかった点にあるとする。まず、「政権寡占クラブ」の8人が薩長それぞれ4人ずつで構成されていることからも分かる通り、薩長のバランスが強く意識されており、強力なリーダーシップを奮おうとすること事態が軋轢を生む可能性があった。また、太政官制から内閣制度施工以後は、調整と談合のメカニズムが働きにくくなり、内閣全体の意思統一がされづらくなった。さらに、強い首相権限が内閣全体の連帯責任の観念に直結することも懸念された。以上の理由より、内閣制度発足時における首相のリーダーシップは主導よりも調整に重きが置かれていたと分かる。その結果、条約改正交渉のような内閣全体の意思統一が必要な場面ではその特徴が弊害となって現れた。
現代の日本の内閣総理大臣のリーダーシップは、内閣制度発足時とは異なり、強いリーダーシップを持ち得ている。確かに第一次安倍内閣から、野田政権までの間は短いスパンでの首相交代が起き続けた結果、統一した政策の立案や実行が出来づらい状況にあった。一方で、2012年以降は自由民主党が政権を保持しつづけ、安倍内閣は第四次まで続き、後任の菅首相も安倍政治の方針を基本受け継いでいる。このことは、現代日本における強いリーダーシップを示したが、日本学術会議任命拒否問題や、IR法案強行採決、森友家計問題のような権力の肥大化を表すような事件も起きている懸念がある。
特に2012年以降の自由民主党政権の政治では、アベノミクスによる経済政策の成功と米国やEUなどと友好な関係を気付いた外交政策は、長期政権だからこそなし得た政策だ。アベノミクスによる金融政策は年半で500万の雇用を創出し、経済効果も大きい。また、外交においても長期的で密な首脳外交を可能とし、信頼関係を構築した。これらのことは7年半という長期政権であったからこそ一貫性を持った政策を実行できただろう。加えて、新型コロナウイルスなどの危機的状況に迅速に対処が可能なことも強いリーダーシップの長所である。
一方で、自民党による一党優位な政治状況は、IR法案強行採決などに見られるように行政権と立法権の結合をもたらした結果、野党と与党による十分な議論がなされていない状況を作っている。このことは、国民からの民意の連鎖が十分になされない危険性があり、民主主義の根幹を揺るがすだろう。したがって、政策としての一貫性は必要な一方で、政権交代の起きにくい現代の日本における行政権の肥大化には十分に留意するべきだろう。
[adchord]慶應法学部小論文2010年度〜2020年度解答と解説
慶應法学部2010年〜2020年 慶應法学部小論文の解答と解説、勉強方法などを記載しています。
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